もさおのためになる話

もさおが、ためになる話をします。

【褒めるべきか叱るべきか】「人はどう育つのか?」

誰かを教育する際、厳しく接するべきか、優しく接するべきか悩むことがあるかと思います。

また、自分が何かを学びたいとき、厳しい人に教わるべきか、優しい人に教わるべきか悩むこともあるかと思います。

 

人は、褒められて成長するのでしょうか、それとも叱られて成長するのでしょうか。

 

 

 

1.人は”育てる”ではなく”育つ”もの

はっきり言ってしまうと、「あなたがどんな教え方をするか」よりも「あなたがどんな人間であるか」のほうが重要です。

 

人は人を見て学びます。

 

あなたを真似ることから学修が始まるのです。

まずは教え方を考えるより、自分がどんな人間であるべきかを考えましょう。

 

人は学習するようプログラムされています。

受動的に教わるのではなく、自ら学びに行くものです。

 

「勉強しなさい」と指示することは、勉強のモチベーションを上げるためには逆効果であるということが分かっています。

親が指示することにより、子供の自主性と学習意欲を奪うことになります。

 

一方的に支持を出すのは逆効果ですが、「一緒にやろう」と声をかけることは効果的です。

「一緒にやる」というのは、必ずしも、相手と一緒になって同じ問題に取り組む必要はありません。

子供が勉強している横で、無関係の本を読んでいるだけでも良いのです。

 

重要なのは、自分が勉強していることを子供に見せ、それを真似させることです。

 

2.褒めるべきか叱るべきか

本題に戻ります。

例えば、子供が100点満点で50点の成績となりました。

このとき、取れた50点を褒めるべきでしょうか。

それとも、取れなかった50点を叱るべきでしょうか。

 

子供を叱ることで、次はもっと良い点を取らなくてはと思わせることができます。

しかし、落ち込んでモチベーションを失うリスクもあります。

逆に、褒めれば落ち込むリスクは低くなりますが、次は頑張らなければというプレッシャーはありません。

 

褒めるべきなのか、叱るべきなのか。

それは、場面によって異なります。

 

たとえば、なにかに挑戦し始めた初心者の頃は、できたことを褒められた方が良いことが分かっています。

はじめからダメな部分を指摘されていては、モチベーションが続きません。

 

逆に、ある程度熟練度が上がると、できていない部分のフィードバックの方が効果的となります。

褒めるか叱るかとは若干意味合いが異なりますが、教える相手のレベルに応じて教え方を変えるべきなのです。

 

【正しい褒め方】

子供の自主性と学習意欲を重視するならば、正しく褒めることが重要となります。

先程の例で、テストの得点を褒めてはいけません。

結果を褒めても、次の努力にはつながりません。

自己肯定感は高まるかもしれませんが、同時に学習意欲が低下してしまいます。

 

褒めるときは、努力したことを褒めましょう。

本を読むことや、勉強したことを褒めた場合、学力が向上することが分かっています。

行為を褒めることが、その行為を続けるモチベーションとなるのです。

結果を褒めれば、また同じ結果を出す意欲は湧くかもしれませんが、そのために努力しようというところまで直結しないのです。

 

【叱るべき時とは】

叱ったほうが良いと考えられるのは、以下のような場合です。

 

①明らかに、やればできたのにやらなかった場合

頑張ったけどダメだったという場合に叱るのは逆効果です。

しかし、やれば確実にできるのに、特に理由もなくやらなかった場合、まずは行動を起こさせる必要があります。

「だらしなさ」はある程度矯正しないと治らないものです。

ただし、だらしなさが原因なのか、そうでないのかの線引が難しいところです。

 

②命の危険に関わるようなリスクを犯した場合

人は失敗を経験して学びます。

はじめから失敗すると分かるようなことでも、経験することは大事なのです。

しかし、一度の失敗が自分や他人の命の危険に関わるような行為は、未然に防がなくてはなりません。

そのような行為につながる行動をした際には叱らなくてはなりません。

 

3.褒めるべきでも叱るべきでもない

褒めたほうが良い場合や、叱ったほうが良い場合について説明しましたが、アドラー心理学では褒めても叱ってもいけないと説かれています。

確かに、筋の通った考え方なので、簡単に紹介します。

 

叱るという行為は、相手を自分の思い通りに支配するための行為であって、教育ではありません。

褒めるという行為も、相手を自分の思い通りに誘導するための行為であって、教育ではありません。

どちらも、自分の考える正しさを相手に押し付けているのです。

 

大事なのは、叱ることも褒めることもせず、ありのままの相手を認めることです。

教育者にできるのは、相手が自立しようとすることを促すことだけなのです。

「馬を水辺に連れて行くことはできても、水を飲ませることはできない」のです。

 

理想論かもしれませんが、これが教育の本質なのかもしれません。