【ためになる解説】「幸せになる勇気」
「愛とは、生き方を選択することである」
今回は、「幸せになる勇気」という本を解説します。
この本は、アドラー心理学について、登場人物が対談形式で解説したもので「嫌われる勇気」の続編です。
アドラーの教えについて、解説していきます。
1.アドラー心理学
そもそも、アドラー心理学は、絶対的に正しい真理ではありません。
人生をより良く生きるための処方のひとつなのです。
アドラーの教えさえ知れば、誰もがすぐに幸福になれるというわけではないのです。
アドラーの教えを知るためには、まずは愛を知る必要があります。
愛こそが、人生における最大の選択なのです。
アドラー心理学は厳密な意味での科学とは言えません。
ギリシア哲学と同一線上の思想と言ったほうが適しています。
しかし、宗教とは異なります。
哲学と宗教の違いは物語の有無です。
宗教は物語によって世界の真理を説明します。
一方、哲学は、答えを見つける学問ではなく、答えを探求し続ける学問です。
アドラー心理学は、知を探求し続ける哲学なのです。
2.「教育とは」
アドラー心理学では、他者の課題に介入すべきではないと説いていますが、「教育」という行為は他者の課題に介入するものと捉えることもできます。
しかし、教育は相手へ介入することではなく、相手の自立を援助する行為なのです。
相手を自立させることが目標なのではありません。
相手の自立を促すことが目標なのです。
人は自立することを拒絶するものです。
他者の指示に従って生きる方が楽だからですまた、教育者は常に相手を支配下に置きたいと考えがちです。
しかし、自分の人生を自分で決めさせるよう促すことが、教育者のあるべき姿なのです。
自分の言いなりになることを求める指導者は程度が低いのです。
たとえば、上司に罵られた場合、これは自分のために言ってくれているのだなどと考える必要はありません。
あなたは指導者としての程度が低いのだと言い放ってください。
そしてクビになることで、その人と働く必要がなくなります。
教育においては、教える側の人間も、教えられる側の人間を尊敬する必要があります。
尊敬がなければ、良好な人間関係は築かれません。
良好な人間関係がなければ言葉は届きません。
尊敬とは、ありのままに唯一無二の相手を認めることです。
相手を認めることは、相手を勇気づけることにつながります。
そのためには、他者の関心事に関心を寄せることが重要です。
他者の目で見て、他者の耳で聞き、他者の心で感じることが、他者を尊敬することなのです。
そして、尊敬することは、相手に尊敬するということを教える行為でもあります。
3.「問題行動」とは
問題行動を起こした人を叱ってはいけません。
それが子供であればなおさらです。
悪い行いをした場合でも、それが悪いことだと知らない場合もあります。
誰もが全てについて「知らない」というスタートから始まります。
また、悪いことであるとわかっていても、相手からの関心を得るために行う場合もあるのです。
いかなる目的をもって、問題行動を起こしているのかに目を向けるべきです。
行為だけでなく目的に関心を向けることが重要なのです。
問題行動には段階があります。
第1段階は、称賛の要求です。
人から褒められようとするのは問題行動の第1歩なのです。
第2段階は、注目換気です。
称賛を得られなくなると、人は目立つことで自分の特別性を認めてもらおうと、問題行動を起こすのです。
第3段階は権力争いです。
大人と対立する、あるいは、大人に従わないことで自分の力を示そうとします。
それでも権力争いに破れてしまった子供は、第4段階の復讐に突入します。
相手から憎まれることで、つながりを保とうとするのです。
自傷行為や引きこもりも復讐の一種です。
そして、第5段階は無能の証明です。
何をしても認められないかった結果、自分が無能であることを証明することで、他者の介入を拒否するのです。
何をしても認められないのであれば、見捨てられることが目的となるのです。
このブログも、誰からも注目されなければ、やがて「見捨ててください」という記事を配信することになるでしょう。
4.他者との関わりにおける問題点
コミュニケーションの目的は合意を形成することです。
合意の形成には手間と時間を要するため、暴力という楽な手段に頼ってしまいがちです。
暴力は道徳的問題なのではなく、コミュニケーションにおける未熟さの問題なのです。怒ることも叱ることも暴力的なコミュニケーションです。
合意の形成ではなく、支配することが目的になっているのです。
【劣等感】
人は誰しも劣等感を持って生まれてきます。
劣等感は努力や協力の促進剤ともなります。
人類は、その弱さゆえに発展したのです。
しかし、劣等感によって、共同体の中に自分の存在理由がないというリスクを恐れるのです。
他者からの承認では、劣等感を解消し切ることができません。
自らを承認することが大切なのです。
人と違うことに価値を置くのではなく、私であることに価値を置くべきなのです。
他人を救うことで、不幸の渦中にいる自分を救おうとすることを、メサイア・コンプレックスといいます。
自らを一種の救世主として仕立て上げることで、劣等感を払拭しようとしているのです。
しかし、不幸を抱えた人間による救済は、自己満足に終わり、誰一人幸福にすることはできません。
まずは自分の心を満たさなければ、他者の心を満たすことはできないのです。
【信頼】
無条件で相手を信頼するということは、相手の意見を鵜呑みにすることではありません。
信頼という行為は、どこまでも能動的な行為なのです。
人との交友は、自分を信じてもらうために、まずは相手を信じることから始まります。
相手を信じた上で、相手の考えを疑い、議論に発展していくことが、交友なのです。
相手を疑うことと、相手の考えを疑うことは違うのです。
ただし、相手を信頼しても、相手が自分を信頼してくれるかどうかは、他者の課題であり、踏み込むべきではありません。
その人の考えが間違っていたからといって、その考えを疑うべきであって、その人そのものを疑う必要はないのです。
たとえ私がめちゃくちゃなことを言っても、私を疑う必要はないのです。
5.愛という選択
恋に落ちるという感覚は、相手を支配したいという欲求から生じるものです。
他者を本当に愛するには、愛するための技術が必要です。
愛は自分と相手の2人で幸福を成し遂げる課題なのです。
1人で成し遂げる課題や、仕事のように多人数で成し遂げる課題は、人生で多く経験します。
しかし、愛のように2人で成し遂げる課題に挑戦する機会は乏しく、教育も施されていないのです。
【ライフスタイルの選択】
生まれたての赤ん坊は、誰よりも弱い存在であるから、誰からも助けられる存在となります。
大人であっても、自分の弱さをアピールすることで、他者からの助けを求めることがあります。
生まれながらにして弱い存在である人間は、幼いうちは自己中心的でないと生きていくことができないのです。
やがて、生きていくためには、他者から愛される必要があるのだと自覚したとき、人はライフスタイルを選択するようになります。
ライフスタイルの選択は、どうすれば愛されるかを考えることです。
自立するというのは、自己中心的なライフスタイルから脱却することを指します。
人は意識の上では愛されないことを恐れていますが、無意識では愛することを恐れています。
愛に担保を求めてはいけません。
自分を愛せていない人は、そんな自分が他人からも愛されないことを確信しています。
そのため、自分から他人を愛することを恐れるのです。
愛することは自分の課題であり、相手が愛してくれるかどうかは相手の課題です。
無条件で愛してくれる親が存在する、子供時代のライフスタイルを引きずってはならないのです。
【生き方の選択】
愛とは、生き方を選択することです。
「運命の人がいない」というのは、愛から逃げるための理由としているに過ぎません。
運命とは、自分と相手で築いていくものです。
初めから用意された運命など存在しないのです。
運命について考えることなどせず、今をダンスをするように生きるべきなのです。
2人で踊り続けた愛の軌跡を、人は運命と呼ぶのです。