【ルーズであることの罪】「人生の敗北者」
「ルーズさは性格ではなく、罪悪である」(出典:もさおの名言集)
仕事やプライベートにおいて、ルーズな人と関わることがあります。
ルーズな人とは、時間を守らない人や、だらしない性格の人のことを指します。
はっきり言って、ルーズであることは損害をもたらします。
それは本人だけにとどまらず、周囲の人も巻き込んで損害をもたらします。
その損害を補うだけの何かを持っている人もいます。
そうではない、ただルーズであるだけの人間は「人生の敗北者」なのです。
「できないのではなく、やらない」
何かを成し遂げたくても、能力が足りずに失敗してしまうことはあります。
能力が足りないことは、悪いことではありません。
人は成長するのだから、不足分は伸ばせばよいのです。
また、必ずしも自分ですべてをやる必要はありません。
苦手なことは他人に任せてしまえばよいのです。
ルーズな人間というのは、「できるのにやらない」もしくは「できないしやらない」人間です。
「できないことをやらない」のは、ある意味合理的かもしれません。
しかし、「やればできる」のにやらない人間は、救いようがありません。
「できない」人間は育てることができますが、「やらない」人間は見捨てるしかないのです。
ルーズな人間になってしまう要因
・想像力の欠如
人は一人で生きていくことはできません。
現代社会を生きることは、他人と協力しあうことが前提となっています。
ルーズな行動は、他人に迷惑をかけることにつながります。
しかし、他人の迷惑について想像する力が欠如していると、その考えに至りません。
迷惑を被った他人が、どのように感じるかがわからなければ、それが悪いことだとは考えられないのです。
本来、人間には、「その場にいない誰か」のことを想像する能力が備わっています。
そして自分の行為が、目に見えないところで、誰にどう影響しているのか考えることができるはずです。
もちろん、はじめからそれができるわけではありません。
「知ること」と「考えること」を繰り返していくことで、自然と身につくものです。
最悪なのは、想像することを「やらない」という場合です。
想像しなければ、罪悪感を感じることもないのです。
・傲慢さ
他人に迷惑をかけることを、それほど悪いことではないと認識している場合もあります。
迷惑をかけることをデメリットとして認識していないため、ルーズであることを改善しようとは考えないのです。
「人は一人で生きているわけではない」という事実から目をそらして生きることもできるのです。
「誰の力も借りずに、自分の力だけで行きている」と考えること自体は自由です。
しかし、実際にそんなことはあり得ないはずです。
傲慢であることは、決してその人に幸福をもたらしません。
自分だけの利益を追求した先に、幸せは存在しません。
想像してみてください。
あなた以外の世界中の人間がいなくなったとします。
その瞬間、地球上の資源は、全てあなたのものです。
そんな状況が、幸福だと言えるでしょうか?
傲慢さの行き着くところは、全てを手に入れることです。
しかし、全てを手に入れたところで、幸せにはなれないのです。
・自己コントロール力の欠如
良くないことだと分かっていても、自分の思う通りに行動できない場合もあります。
自分で自分をコントロールできない状態です。
この状態は、もはや病気です。
しかし、病気は治すことができます。
自己コントロール力は鍛えることができます。
規則正しい生活をする。
目標のために小さな努力を繰り返す。
このような行動を毎日繰り返すことで、自己コントロール力は身につきます。
「できない」ことは、最悪の状態ではありません。
「やらない」ことがダメなのです。
ルーズではない人の中にも「やらない」部分はあるでしょう。
確かに、全てをやることなどできません。
しかし、十分な資本があるのであれば、できることはやるべきです。
この世界から少しでも「やらない」を減らしていきましょう。
おわりに
自分がルーズな人間であると自覚している人はいるでしょうか。
もしルーズであるという自覚があれば、以下のいずれかに取り組むべきです。
①他人に迷惑を掛けても余りある程の他者貢献を行う。
②ルーズさの解消に務める。
③開き直る。