【ためになる解説】「日本人としてこれだけはしっておきたいこと」
今回は、「日本人としてこれだけは知っておきたいこと」という本を紹介します。
この本は、戦後日本における政策から、現在の日本人の価値観の歪みを読み解いたものとなっています。
無批判に物事を捉えて、何でも鵜呑みにすることは誤りですが、戦前や戦時中の日本をただ否定していても、正確に歴史を読み解くことはできません。
1.アメリカの占領政策
太平洋戦争で日本の底力を重く見たアメリカは、戦後の日本を永続的に弱体化させることを目論みます。
そこで、日本の強みは精神力にあると考え、神道指令によって国民のアイデンティティを欠如させようとしました。
西洋では、宗教が国力を形成するものであると認識されていたため、神道を廃れさせることで日本を弱くすることができると考えたのです。
戦後の日本人には、ソ連よりアメリカの方がましであるという認識があり、アメリカの占領政策を受け入れることに、大きな抵抗はありませんでした。
ソ連軍は満州において日本人に対し暴虐を尽くした過去がありますが、アメリカの占領軍は日本人に友好的な態度をとったため、このような意識が生まれました。
この友好的な態度は、良心というよりは、アメリカの戦略的占領政策によるものなのです。
職場において、普段は嫌いな人がいるのですが、もっとヤバい奴が現れると、その人よりはマシと考え、敵対心が薄れます。
自分のことをよく思っていない相手に言うことを聞いてもらいたければ、更に嫌なやつを投入すれば良いということになります。
2.戦後の歩み
憲法9条が日本の平和を作ったとは言えません。
戦後は世界的にも大きな戦争は少なく、平和憲法のない多くの国で、長らく戦争は起きていません。
憲法9条によって平和が作られたという根拠は乏しいと言えます。
戦争が生じなかったのは、冷戦体制による影響が大きく、日米安保条約のおかげで日本は戦争を回避できたと考えるのが妥当なのです。
また、戦後の民主主義が経済発展につながったというのは誤りです。
現に、民主主義化していない中国も、戦後は大きな発展を遂げています。
国際化による市場拡大と、新文明を取り入れたことによる爆発的な内需の拡大が経済発展の大きな要因と考えられます。
日本は、アジアの中でも早くに大きな経済成長を遂げました。
その結果、ヨーロッパ圏以外で発展するのが早かったというだけで、日本特有の要因がすべて正解であったという歪んだ見方を形成してしまったのです。
前の時代の成功要因が、次の時代の衰退要因になることはよくあることです。
戦後の長すぎた暫定期間に終止符を打ち、これからの日本について考えるべき時が来ているのです。
近現代世界では60年周期で大きな変動が生じています。
日本についても、戦後60年以上経過した現代になって、戦時中の新情報がいくつも出てきています。
今だからこそ戦時中を正確に評価することができるのです。
今では、独立を勝ち取ったと称えられるナポレオンですら、戦後は批判されていました。
ある程度の年月が経たないと、客観的に歴史を認識することは難しいのです。
3.戦争の反省
太平洋戦争は、戦略的には愚かな戦争でしたが、道義的には間違った戦争であったとは言い切れません。
日露戦争も以前は侵略戦争と批判されていましたが、その後評価が見直されています。
日露戦争は自衛戦争であり、初めてアジア人が白人国家を打ち負かした歴史的な戦争でもありました。
この戦争が太平洋戦争につながったという主張もありますが、整合性が低いものとなっています。
戦争を肯定することはできませんが、これからの戦争を防ぐためにも、過去の戦争を客観的に分析する必要があるのです。
【コミンテルンと中国】
ソ連の目論見により、戦前の日本は中国との関係が泥沼化していました。
ソ連は世界的にコミンテルンという組織を作ることで、各国に共産革命を引き起こそうとしていたのです。
コミンテルンは情勢不安定な中国をターゲットにし、国民党の孫文とのパイプを築きました。
やがて国共合作が果たされ、中国と共産党とのつながりが明らかになりましたが、日本は関東大震災の影響もあり、これを見過ごしてしまいました。
その後国民革命軍が結成され、ソ連の莫大な資金援助のもと、蒋介石による北伐が始まったのです。
北伐が武漢や南京に達したころに国民革命軍の内部に亀裂が生じます。
中国共産党を中心とする国共合作軍と、ソ連の進出に危機感を覚えた蒋介石軍が対立したのです。
その中で英米日の居留民が南京で大虐殺された事件が生じます。
これに対し、アメリカとイギリスは中国に報復したのですが、日本は中国との関係性を重視し、これに参加しませんでした。
これにより、日本は英米から孤立し、中国からは弱腰と評価されることにつながったと考えられます。
【満州事変へ】
対中友和外交を続ける幣原内閣への批判が強まった後、田中義一内閣において山東出兵に踏み切りました。
各国との連携を図るべきでしたが、英米との関係を構築できておらず、日本単独での出兵となりました。
山東出兵をきっかけに、中国における反日活動が激化することとなりました。
これに対し、新たに設立された浜口雄幸内閣は、幣原喜重郎外相による対中友和外交を続け、何の手も打たなかったのです。
やがて、満州運営が立ちいかなくなる程の排日運動が繰り返され、危機感を持った陸軍の暴走により、満州事変へとつながってしまいました。
4.日本という国
現存する君主国は27か国あります。
そのうち人口3,000万人を超えるのは4か国のみです。
そして、現存最大の君主国家は日本なのです。
日本は、世界で唯一共和制を一度も経験していない国です。
また、日本の君主である天皇は、世界で唯一姓を持たない君主なのです。
つまり、一度も王朝が交代していないということです。
これを万世一系といいます。
【女系天皇】
今後、もしも女系天皇が誕生すると、この流れが断たれてしまいます。
女系天皇を認めないというのは、女性天皇を拒否することではありません。
代々継承されてきた、天皇の血がつながっていない天皇が生まれる可能性を拒否することなのです。
これについて、猫にたとえて説明します。
たとえば、天皇であるアメリカンショートヘアとメスのスコティッシュフォールドが結婚して、メスの子供が生まれたとします。
この子供が天皇になった場合、女系天皇ではなく女性天皇となります。
この女性天皇がオスのスコティッシュフォールドと結婚して生まれた子供が天皇になると、それは女系天皇ということになります。
この女系天皇が、代々引き継がれてきたアメリカンショートヘアの染色体を引き継ぐ確率は1/2なのです。
女系天皇を認めると1/2の確率で、アメリカンショートヘアの遺伝子が途絶えてしまうのです。
【皇室の廃止】
米による占領政策において、GHQは皇室の廃止を意図したのですが、まずは天皇を利用することを優先しました。
一方で、宮家のほとんどを廃止し、皇位継承者が生まれにくい状況を作りました。
また、皇室廃止による共産主義化を目論むソ連の圧力によって、日本国憲法に「国民主権」の文言を記載することとなりました。
国民の力を強め、皇室の存在感を小さくしようと目論んだのです。
しかし、ソ連の目論見は外れ、日本は共産主義国にはなりませんでした。
本来、民主主義と君主制は両立しないものですが、結果的に日本ではそれが成り立つこととなりました。
【自虐的日本人論】
戦後の日本人論は、西洋文明と比較することが主でした。
この比較に用いられるのは、理想的な西洋人像と生身の日本人像の対比であり、公平なものであるとは言えませんでした。
その結果、自虐的な日本人論を形成してしまったのです。
アメリカの文化人類学者ルース・ベネディクトが記した「菊と刀」では、馬鹿げた恥の文化や、暴発しやすい日本人の特徴を強調されました。
この本は、日本人に自虐的な思考を植え付けるきっかけとなりました。
【和の心】
イギリスの外交官ジョセフ・サンソムは、稀代の日本研究家であり、戦後、GHQに皇室存続の重要性を訴えました。
日本の皇室存続に大きく貢献した人物なのです。
サンソムは、日本人は他の文明人とは異なり、行動の規範を美意識で規定していると説いています。
日本は、他の文明と異なり、一国で一文明を形成しています。
日本においては、国を愛することが文明を愛することに直結することになります。
宗教と近代科学の対立は、各国で課題となっています。
しかし日本は、神の奇跡や戒律といった非科学的なものを重んじるのではなく、神は自らの内部に宿るという宗教心を持っています。
この考え方は、近代科学との矛盾が生じません。
日本宗教の核心は、正直な心を持てば、そこに神が宿るという考えでなのです。
また、十七条の憲法にもある「和」の心というのは、ただ喧嘩をしてはいけないというものではありません。
お互いがそれぞれの役目を果たすことで、心のつながりを保つことを示しているのです。
この「和」の心こそが、日本の心の形であると言えるのです。