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【ためになる解説】「嫌われる勇気」

 

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今回は、「嫌われる勇気-自己啓発の源流「アドラー」の教え」という本について解説したいと思います。

 

現代社会での生き辛さ」

「対人関係における不安」

「辛い過去の出来事」

今を生きる中で、誰もが抱える悩みに、アドラー心理学は答えてくれます。

この本は、アドラー心理学について対談形式で説明したものになってます。

 

 

 

「世界はどこまでもシンプルである」

 

この本において、アドラー心理学というのは、「幸福な人生に必要な勇気について説いた教えである」と説明されています。

人は、世界が複雑で自分の力ではどうにもならないと捉えがちですが、アドラーは「世界はどこまでもシンプルである」と説いています。

 

世界をどのように捉えるかは、世界の在り方そのものの問題ではなく、人の捉え方の問題なのです。

 

幸福な人生を生きるためには世界の捉え方を改める勇気こそが大切なのです。

 

例えば、仕事をしている間も、多くの規程に囚われ、複雑な環境に閉じ込められているように感じます。

そんなとき、開放感を求めてスーツを脱ぎ捨て、全裸になった場合、仕事を失ったり、逮捕されるリスクすら生じます。

好きに服すら脱げない世界なんてとてもシンプルとは思えません。

 

しかし、世界はどこまでもシンプルなのです。

私が複雑に捉えてしまっているだけなのです。

そして、職場で全裸になる必要もないのです。

 

 

「トラウマは存在しない」

過去の出来事が原因で前に踏み出せない時、その原因をトラウマと言います。

しかし、アドラーはトラウマの存在を否定しています。

 

過去の出来事が人の行動を規定することはありえません。

過去の出来事をどのように意味付けし、どのように行動するのかは、本人の選択次第なのです。

 

怒りという感情は純粋には発生しません。

人が怒るとき、怒りという感情が自然に発生するのではなく、怒りという感情を利用して課題に対処するために、怒ることを選択している状態なのです。

 

また、不幸というのは自身が選択した世界観(ライフスタイル)による結果です。

これまでが不幸であったとしても、今後も不幸であるかどうかは世界観の選択次第なのです。

 

過去にどれだけ辛いことがあっても、その後も不幸になるわけではありません。

現にSSレアのキャラを他のプレイヤーにだまされて失ったことのある私ですら、悲観的にならずに人生を歩んでいます。

 

そのプレイヤーを呪い殺したことは今でも反省しています。

 

 

「目的論」

ある目的が先にあり、そのためにどう生きるかの選択をしていることを「目的論」といいます。

逆に、何か原因があったから、このような生き方を選択しているという解釈を「原因論」といいます。

 

アドラー心理学は、目的論の立場をとっています。

 

先に答えを自分で決めていて、その理由として過去の出来事を持ち出し、それが原因であると意味づけているのです。

過去の出来事は、今選択していることの正当性を主張するために使われているわけです。

 

本の中で赤面症の女性の話が登場します。

顔が真っ赤になってしまうから、好きな人に告白することができないのだと、その女性は言います。

アドラー心理学はこのような原因論を否定します。

赤面症だから告白できないのではなく、告白したくないから赤面症であるのです。

告白が失敗することを恐れ、告白しないことを選択し、後付け的に赤面症をその原因として据えているのです。

 

 

 

「全ての悩みは対人関係の中に存在する」

続いて、対人関係に関する記述について説明します。

人の全ての悩みは対人関係の中に存在します。

個人の悩みであっても、それは他者との比較によって生じる悩みです。

 

人は生まれたときから劣等感を持って生きています。

劣等感があるからこそ成長につながるのですが、劣等感によって前に踏み出せない状態が生じる場合があります。

これを劣等コンプレックスと呼びます。

また一方で、肩書きやブランドに執着して偽りの優越性に囚われることを優越コンプレックスと呼びます。

いずれのコンプレックスも主観的なものです。

 

客観的なものを変えることはできませんが、主観的なものは自分の選択次第で変えることができます。

 

 

 

「自己の課題と他者の課題」

人生における課題は、自己の課題と他者の課題に区別することができます。

他者の課題の解決を手助けすることはできますが、他者の課題に介入すべきではありません。

馬を水辺に連れて行くことはできても、水を飲ませることはできません。

 

そして、他者が自分をどのように評価するのかは、他者の課題であり、そこに介入してはいけません。

他者からの承認を求めることは、他者の課題のために生きることになります。

 

自己の課題とは何でしょうか。

それは「最終的に、その責任を自分で引き受けることになる課題」こそが、自己の課題です。

選択の結果が、直接自分に降りかかる課題です。

 

課題に直面したとき、まずはその課題の結果について、自分が責任を取るべき課題なのか考える必要があります。

人は自己の課題のため、つまり、自分の人生のために生きるべきなのです。

 

 

 「タテの関係とヨコの関係」

人間関係はタテの関係ではなく、ヨコの関係を築くことが大切です。

たとえ親子であっても、相手を叱ってはいけません。

相手より上の立場となって支配したいからこそ、叱るという行為が生じるのです。

 

また、叱ってはいけないことと同じく、褒めてもいけません。

褒めるという行為も、自分が正しいと思う感覚を相手に押しつける行為なのです。

褒める側と褒められる側というタテの関係を構築すべきではありません。

 

立場の違いがあったとしても、人は皆対等です。対等な関係(ヨコの関係)において、叱る、褒めるといった行為は生じません。

ヨコの関係では感謝・尊敬・喜びの言葉を用いることになります。

また、その言葉は、自分や他者の行為に対して用いるのではなく、存在そのものに対して用いるべきなのです。

 

自分も他者も存在しているだけで価値があるという認識を持つことが大事なのです。

 

 

 

「共同体感覚」

人に認められたいと思う承認欲求は、向上心の糧ともなります。

しかし、アドラー心理学では、承認欲求を満たすために生きるべきではないと説いています。

承認欲求は、自分が人からどう思われたいかという、自己への執着によって生じるものです。

 

対人関係のゴールは自己への執着を捨て、共同体感覚を持つことなのです。

 

ここで言う共同体には、国家や宇宙、植物や無生物すらも含みます。

また、時間軸には囚われません。過去も未来も含めるのです。

 

人は共同体の中で居場所が見つけられない場合に、より小さな共同体に意識を向けがちです。

しかし、共同体の外側にも世界があり、共同体が存在しています。

より大きな共同体に目を向けることが重要なのです。

 

たとえば、職場の同僚と揉めた時に、「もういい」と言って家に帰って引きこもってしまってはいけないのです。

一日中実家の猫の肉球をぷにぷにしている場合ではないのです。

そんな時こそ街に繰り出して猫カフェにいる猫の肉球をぷにぷにするべきなのです。

 

 

共同体感覚を身につけるためには、自己受容・他者信頼・他者貢献の3つが必要となります。

 

1.自己受容

自己受容とは、ありのままの自分を受け入れることです。

自らの在り方を積極的に評価する自己肯定とは異なります。

自己肯定のように、何事もポジティブに考える必要はなく、ポジティブに考えられない自分であっても認めて受け入れることが自己受容です。

 

たとえば、エロ動画を見るのは時間の無駄だからやめようと考えたとします。

しかし、その日の夜にエロ動画を見てしまった自分を責める必要はないのです。

「見てもいいんだよ」と声をかけてあげましょう。

「良い動画があれば、ブックマークしていいんだよ」と声をかけてあげましょう。

 

 

2.他者信頼

他者信頼とは、特定の条件付きで相手を信じる「信用」とは異なり、一切の条件をつけずに他者を信じることを指します。

 

条件を付けなければ、相手から裏切られるリスクがあります。

しかし、他者が自分の信頼を裏切るかどうかは他者の課題であり、自分から介入する必要はありません。

 

自分が他者にどう振る舞うかは自分の課題であり、それにどう応じるかは他者の課題なのです。

 

3.他者貢献

他者貢献は自分が貢献できているという認識が重要であり、実際に評価を下すのは他者の課題です。

他者に貢献できているという認識が、共同体における自分の存在価値に気づくことにつながるのです。

 

 

おわりに

人は過去を変えられないように、未来を生きることもできません。

今をどう生きるかということしか選択できないのです。

未来の「成功」というゴールに向うために今があるのではなく、今の繰り返しによって未来に到達するのです。

 

今は旅の途上であり、旅は目的地へ到達することだけでなく、その途上もひとつのゴールです。

まずは「今」にスポットライトを当てて「今」を真剣に生きるべきなのです。

ただし、真剣と深刻は異なります。深刻に生きる必要はありません。

 

「今」に全力を尽くし、ダンスをするように生きることが大切なのです。

 

 

嫌われる勇気

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